F-5E's   Page
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冷戦さなかの1970年代、ヨーロッパ地域にもアメリカ空軍のアグレッサー飛行隊が誕生した。1976年イギリスのアルコンバリー空軍基地に 527th ASが創設され, アジア地区で26th ASがPACAFを担当するようにUSAFEの戦闘機部隊の訓練を担当した。彼らのインシグニアは、まさに正面対峙していたロシアのクマである。この時、欧州にあった米第3空軍の指揮下に入って欧州に展開する米空軍のパイロットに対し、Mig21/Mig23をシュミレートする訓練法で対処力を付けるのが目的だった。初代隊長はベトナム戦125回お出撃記録を持つB・マクレナン中佐で、隊員は全てネリスの第65戦闘武器飛行隊で教官の資格を持つものから選抜されたとある。
 機体のマーキングの特徴としては、初期のマーキングで多くの機体が、機首のModexナンバーを太書きし黄色で縁取りしているのが特徴で、これもロシアの一部の機体を模倣したものだと思う。この部隊のF-5Eは、当時の南ベトナム(ベトナム共和国)が注文して生産された機体が、南ベトナム政府崩壊後、不要となり転用されたようである。この飛行隊も後にベントウォーター基地に移動してF-16Cを受け取ったが1990年以降ペーパースコードロンとなっている。
↑ 1982年8月アルコンビュリ空軍基地内で撮影されたトーイング中のF-5E/74-01556。リザード迷彩の機体。
当初彼らの任務は、ドイツやオランダに配備されたUSAFEのF-15部隊との訓練が中心であったが、次第にNATO諸国との訓練も増やされ、西ドイツやフランス空軍との訓練も盛んに行われていた。1988年頃になると酷使されたF-5Eに数々の金属疲労や故障が目立つようになり、事故も少なくなかった。ちなみに部隊での損失は、74-1555が1976年12月、74-1552が1978年8月、74-1550が1982年1月に地中海沖で、74-1548が1982年5月にドイツで、74-1534が1987年10月に、74-1542が1986年1月に失われていたそうである。また東側の戦闘機もMig-29などの新鋭機に変わっていった為、F-16Cへの交代が準備された。
↑ 527th TFTASでも、当初のオリジナル迷彩から、時代の流れと共に派生型の各種スキームが生まれている。上の2枚のイラストは同一のF-5E/74-01556であるが、リザード迷彩から、ワルシャワ条約機構のMig-27フロッガー戦闘機の迷彩を意識したフロッガー迷彩に変更された。
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1976年6月最初の8機のF-5Eが、カルフォルニア州のパームデールでC-5Aギャラクシーに積まれアルコンバリ―に到着したのは、6月14日。6月24日には、12機がそろい10月から始まる”DACT”異機種間航空戦闘訓練の準備が着々と進行していた。各機ともにワルシャワ条約諸国の空軍機の塗装を模してカラフルな迷彩が施され、機首番も東側の空軍、特にロシア機のように二桁の番号がシリアル番号の末尾からつけられたが、重複する際は3桁にしたと言われる。特にアルコンバリ―のF-5Eは、ステンシルタイプの国籍表示とトーンダウンした記号を最初に使った部隊として記録されている。
↑ 1985年5月西ドイツのラムシュタイン空軍基地で撮影されたF-5E/74-01553。この機体は、その後同一の3色を用いて、フロッガー・スキームに塗り替えられた。
↑ 撮影日、撮影場所共に不詳であるが、恐らく多くのシェルターアある事から、欧州の空軍基地であろう。一つ上の51号機との違いがお判りかな?尾翼の”USAF 0551"が中抜きのロービジタイプに塗り直されている。この塗り方も527th TFTASの機体の特徴。
↑ 1979年6月 アメリカ本国のウェストオーバーで撮影された527th TFTASのF-5E/74-01551。
↑ 1977年の7月西ドイツのラムシュタイン空軍基地で撮影されたF-5E。このリザード迷彩のF-5Eは、この74-01560以外に527th TFTASには、74-01556/74-01559/74-01563など計4機が確認されている。
Wings
↑ 1977年7月にアルコンビュリ空軍基地で撮影されたF-5E/74-01552。